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久しぶりの甲州街道です。
梅雨があけず、どんよりと雲っています。
写真がきれいに撮れないけれど、
その分涼しいのだから、良しとしましょう。
JR日野駅を降りて、
前回見忘れた日野宿・問屋場跡、高札場跡を
見に行きました。
国道20号線沿い、
『日野舘』の道路を隔てた向い側にあります。
今は碑があるだけですが、
新撰組の故郷日野の
かつての賑わいが偲ばれました。
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蕎麦処『日野舘』の向い側に
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甲州街道の旧道は宝泉寺の前の道を過ぎてから中央線を横切るのですが、
この道は、かつてはあったと思える踏切が閉じられているので、JR日野駅を迂回しなければなりません。
中央線を渡ったところで、国道20号線と分かれ、線路沿いに少し登る感じで進むと、
かつて踏み切りがあったであろう地点を通過します。
ここからは、紛れもない旧道で、更に進んだ日野市日野台1丁目21付近で合流します。 |
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宝泉寺の前の道(お地蔵様の前で振り返って)
(06/11/23 撮影)
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今は閉じられて通れません。(06/11/23 撮影) |
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今は閉じられている踏切の手前に
お地蔵様があります。
正徳3年(1713年)に作られたもので、
『西の地蔵』(坂下地蔵)と呼ばれ、
長く日野宿の西の出入り口を守ってきたそうです。
左がその写真ですが、
赤い帽子がとても可愛いです。 |
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(06/11/23 撮影)
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(10)日野台一里塚付近(日本橋から10里/39.3km)ー日野自動車の会社内にあります。
(06/11/23 撮影)
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日野市内に一里塚は二つ。満願寺一里塚と日野台一里塚。
日野台一里塚は、20号線沿い、日野自動車の工場内にあり、
正門の受付で見学したい旨お願いすると、係の方が案内して下さいます。
上の右の写真のこんもりした中に日野台一里塚があります。ちゃんと保存して下さっているのに感謝です。
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下の左の写真は、日本橋から42kmの道標ですが、これは20号線のこと。実際は旧道を求めてもっと歩いています。
この地点には、中央高速道路・八王子インターまで5kmの標識があり、八王子市大和田町3丁目20でした。
八王子の市街地に入るには、淺川の大和田橋を渡るのですが、この少し手前に100mに満たないのですが、
20号線と平行して旧道が残っているところがあります。20号線の甲府に向かって左側です。
もちろん、旧道を進みました。下の右側の写真が旧道です。
ふと見ると、お米屋さんがあって、『手作りおにぎり』と書いてあります。
お米屋さんのおにぎりです。きっと美味しいに違いないと思い、吸い込まれるようにお店に入りました。
メニューはたくさんあって、注文があってから握るとのこと。
ねぎ味噌、数の子、焼肉の3個を注文しました。3個で350円(税込み)です。
店内で食べられるようになっていて、とても美味しいお茶がでました。
出てきたおにぎりは、手でもてないほどアツアツ。ふーふー言いながら食べました。
ねぎ味噌が一番おいしかったですよ。
レジで支払いながら、「お米屋さんでおむすびとは、いいアイディアですね。」と話しました。
このお店、お勧めです。ぜひ皆様お寄り下さいね。
内田米店 八王子店 八王子市大和田町3−18−15 Tel. 0426-42-0525 |
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銀杏並木の20号線
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淺川の手前に旧道が残っていました。 |
淺川の手前で20号線と旧道が合流します。
大和田橋に終戦直前の8月2日に焼夷弾が落とされました。その跡が今も保存されています。
下の右の写真がそれですが、カバーがかかっているので、よく見えません。 |
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淺川にかかる大和田橋
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終戦直前焼夷弾がーー。 今もその跡が保存されています。 |
江戸時代の甲州街道は、淺川を渡った付近から追分あたりまで、20号線とほぼ同じだったと聞きました。
しかし、市内にある一里塚は、20号線より北にあります。
きっと古道は、北のほうつまり一里塚付近を通っていたのだろうと思い、大和田橋を渡ってからは、
20号線と分かれて、右の道を進みました。ヤナセのお店がある交差点で、斜めの道が見つかりました。
下の左の写真です。置き去りにされたようなひっそりとした道で、
きっとこれが古道に違いないと考えて進むと、右側に新町竹の鼻児童公園があって
そこに竹の鼻一里塚の碑がありました。
それで、これが古道つまり旧道ができる前に使われていた甲州街道だと勝手に確信しましたが、
この道は、一里塚跡を少し過ぎた地点で、T字路にぶつかってしまいます。 |
日野から八王子までは海さんの書かれているとおりで、
八王子バイパスを過ぎて間もなくを斜め左に入る小路が旧甲州街道です。
これは大和田橋の手前で20号に合流します。
八王子の街への入り口に大和田橋を渡りますが、其処は昔の渡し場が在った処です。
橋を渡り直ぐの交差点を右に曲がり、240〜50m行くと「海」さんの仰るとおり、斜めに左に入る路があります。
これが旧甲州街道です。一里塚の記念碑の隣にある永福稲荷社を通り過ぎると突き当たります。 今はT字の交差点ですが、往時は鍵形に曲がっていたそうです。
これを左折して真っ直ぐ行くと現甲州街道20号に出ます。
出たところに「市守神社」があります。此処から西が「横山宿」です。 談 渡辺 一生 |
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古道に違いない!と勝手に確信
向こうに見える林に一里塚がーー。
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(11)竹の鼻一里塚跡(日本橋から11里/43.2km)
八王子市新町5−5 |
T字路を左折して鉤の手に進み、市守神社のところで20号線にぶつかり、右折します。
これが旧甲州街道です。
最初道が分からず、あちこちぶらぶら。思わず足が止まったお店2軒。
一瞬、戸が壊れているんだと思いました。お客さんの足を止めるのには、良いかもしれません。 |
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11.八王子[横山]宿(東京都) |
[行程] |
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『八王子』という名前の由来ですが、
神道におけるスサノオ神と同体であるとされている『牛頭天王』信仰というものがあって、
1000年以上昔、今の元八王子町に牛頭天王と8人の子供を奉る社が作られたことから、
『八王子』という名前ができたのだそうです。
八王子宿は、横山宿で代表されるという考えがありますが、 実際には、八王子15宿と言われています。
大久保長安は、八王子城下町から人々を移住させて、横山宿、八日市宿、八幡宿を作りました。
その後、八木宿等次々に宿場ができて、ついには15宿になったと聞きましたが、
この4宿以外名前が分かりません。
調べて見たところ、八王子十五宿は、次の宿場となります。
上野原は山梨県の上野原宿ではなくて、現在の八王子市
上野町のことです。
江戸時代の上野原宿は現八王子市
の中部地区で市街の西南部に位置します。
明治15年 (1882年)に上野町と町名が変更になったそうです。
十王堂宿(新町)、横山宿、八日市、本宿、八幡宿、八木宿、子安宿、馬乗宿、
小門宿、本郷、上野(上野原)宿、横町、寺町、久保宿、嶋坊(嶋野坊)宿
談 渡辺 一生 |
八王子宿には、かつて遊郭があったのですが、明治の大火で消失した後、
淺川沿いの田町にまてめて移転となりました。
今もかつて遊郭だった建物が残っています。 |
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15宿のうち、横山宿と八日市宿は、
伝馬宿の特権を持っていました。
いまでも八日市町改め八日町では、
八の日に市が開かれるのだそうです。
20号線八日町交差点と八幡町交差点の
ほぼ中間地点に『甲州道中・八日市宿跡』の
碑があります。
八王子に向かって右手にありますので、
お見逃しなきよう!
今も横山町、八日町、八幡町、八木町の
名前が残っています。
20号線で八王子の駅を越えるあたりが横山町で、
八日町、八幡町、八木町と続き、追分町にでます。
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20号線で八幡町を過ぎて少し進み、左に曲がると小門町にでます。
ここに、産千代稲荷神社があり、その一角に八王子の町を作った大久保長安の陣屋跡の碑があります。 |
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産千代稲荷神社(05/ 6/22 撮影) |
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産千代稲荷神社の入口にある
大久保岩見守陣屋跡の碑(05/ 6/22 撮影) |
大久保長安陣屋跡から徒歩5分くらいのところに、信玄の息女松姫のお墓がある信松院があります。
元武田家の家臣であった大久保長安は、松姫を手厚く庇護したと言われています。
追分の交差点について、20号線と合流しました。
追分というからには、と思いきょろきょろすると陣馬街道の標識も見えました。
追分の交差点に歩道橋がありますが、その歩道橋の下に古い道標がーーー。
この道標は、1811年江戸の商人清八が江戸から高尾山までの甲州街道の
内藤新宿、八王子追分、高尾山小名路に作った道標のうちの1つで唯一残っているものです。
8月2日の空襲で、壊れたのを復元したとのこと。2段目と4段目は1811年のものだそうです。 |
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追分の交差点で振り返って! |
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八王子追分の道標 二段目と四段目は1811年のもの
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内藤新宿の追分にも交番がありました。 |
八王子追分交番の裏側に
八王子千人同心屋敷跡の碑があります。 |
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八王子追分交番
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八王子千人同心は、最初 武田家の国境警備隊(小人組)約250人で
組織された後、人員の補給がされました。 神奈川県相模原市からも 出仕していたそうです。 千人同心の1人であった『小川家』には 今も子孫がお住まいです。
家は、現代風に建て替えてありますが、 広い敷地に雰囲気が残っています。
小金井市の江戸東京たてもの園には 八王子千人同心組頭の家が保存してあります。
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八王子千人同心屋敷跡の碑 (05/ 6/22 撮影)
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追分けの交差点を左折すると、
甲府に向かって右側は千人町です。
幕末、千人同心の組織解体のとき、
組頭二宮光鄰らの尽力で
千人町の名前が残りました。
20号線で西八王子駅近くに来ると、
山梨銀行角に『馬場横町』の碑があります。
ここで右折して北西方向に進む道を
馬場横町といいます。 この先にある宗格院の北側に
千人同心拝領の馬場があったので、当時から
この道は、『馬場横町』と呼ばれていたそうです。
宗格院には、浅川の治水のために
大久保長安が作った石見土手が残っています。 |
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宗格院は、なかなか立派なお寺です。
墓地には、千人同心だった人が
多く埋葬されているそうです。
大久保長安は、武田家の家臣だった人です。 信玄の治水工事に影響を受け、 浅川の治水工事に力を注ぎました。
石見土手は、浅川の本流と ここ千人町を流れる支流に作られました。 本流に作られてものはもう全然残っていませんが、
ここ宗格院に60m程残っています。
ということは、かつて浅川の支流は、
宗格院のそばを流れていたのですね。 |
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宗格院正門 (05/ 6/22 撮影)
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真っ直ぐ続く馬場横町。左が宗格院で突き当たりが浅川の支流。
石見土手は、お寺の角を左折したところ、境内にあります。(05/ 6/22 撮影)
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最初は、花壇のための石盛かと思ったのですが、これが石見土手。
かつては、ここを浅川の支流が流れていたのですね。 (05/ 6/22 撮影)
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西八王子駅近くのお店の前にいた店主らしき人に、旧甲州街道について聞いてみました。
運がよかったのですが、その人は江戸時代の甲州街道の地図を見たんだそうです。
その人の話によると、追分を過ぎてからの甲州街道は、桝形になっていて、角々と曲がって、
現20号線の南に行ったり北に行ったりしていたそうです。
並木町のあたりに、少し旧道が残っているとも教えていただきました。 |
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昭和2年新道建設時の甲州街道
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並木町には一里塚があって、「散田村新地に一里塚あり。」と武蔵名勝図絵に明記されているそうです。
それがどこにあるか?探しました。
八王子市役所横山事務所近くにあるという情報があったので行ってみると、
右下の写真にあるように、立派な一里塚らしきものがありました。
念のため事務所で聞いてみると、「これは一里塚ではない。八王子市街方向に戻ったところに
大きな碑があるけれど、それが一里塚です。」と言われました。
その碑が上の2枚の写真なのですが、どこにも一里塚とは書いてありません。 |
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並木町・横山第二小学校付近で振り返って! 左旧甲州街道、右国道20号線
この旧道を戻ったところ右側に 上の高尾山道の碑があります。
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(12)散田村新地一里塚(日本橋から12里/47.1km)
八王子市横山事務所内(並木町15−15)
やはりこちらが一里塚なのだと思います。
(05/ 2/21 撮影) |
多摩御陵入り口付近で20号線から斜めに入る道がありました。それは旧道に違いありません。
地図を見ると、この道は大きな半円を描いていて、20号線に戻って来ます。
そこを進むと、ときどき車で通る山梨県内の旧甲州街道の面影を残した町並みがありました。
かつて街道沿いの集落では、道の両側に小さな生活川がありました。
ここでは、甲府に向かって左側に小さな生活川があって、水がたっぷり流れていました。
道も気持ちよいカーブを描いています。旧道は、20号線のようにまっすぐなわけがありません。
20号線の喧騒から離れて、こんな素敵な場所があったのかと、
この日歩いたなかで一番の快適さでした。 |
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多摩御陵入り口付近 左20号線、右旧甲州街道
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旧街道の面影を色濃く残して! |
甲州街道を西進して追分を過ぎ更に西進すると、多摩御陵の入り口の交差点に出ます。 さらに100mくらい進むと斜め右に入るやや狭い路があります。 これが旧甲州街道で、その道の左側に綺麗な水が勢い良く流れている側溝がります。 この路は約500m程で20号に合流しますが、この辺りに何か昔の面影が残っているような気がします。
談 渡辺 一生
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渡辺 一生 撮影 |
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渡辺 一生 撮影 |
旧道は、強引に町田街道入り口の交差点で、20号線に合流させられていました。 あと少しでJR高尾駅です。 20号線は、高尾の駅前でがらっと雰囲気が変わりました。 つまり、長く続いて来た銀杏並木がなくなってしまうのです。 何度も車で通っていたのに、初めて気がつきました。
次は、高尾駅から小仏峠を越えて相模湖までです。 暑いから秋になって涼しくなってからにしようかと思います。
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