4日目
調布市飛田給ー府中市ー国立市矢川


京王八王子線飛田給の駅を降りて、東京スタディアムを前方に見て、左に曲がります。
旧甲州街道の標識があり、ここは20号線と京王線の間の道です。
少し進むと左に分岐している道があり、これが多分17Cころの古街道だろうと思ったのですが、
とりあえずは右の 『旧道』を進むことにしました。
すぐに調布市と分かれて府中市に入ることになります。


街道沿いには大きな家があり、植木がよく手入れされているなー、立派なお倉があるなー、庭が広いなー、
と感心しながらの道中です。
しばらく行くと、昔懐かしい神社が左手に見えました。気をつけていなければ、見過ごしてしまいそうです。
神社の中に入って見ると、左手に『上染屋』と書いた石の説明書きがありました。
この石の説明書きは、これからの府中市を通過する間にいくつか見つけることになります。
府中市は、史跡を大切にしているんだなーと嬉しくなりました。

(1)上染屋(現府中市白糸台1丁目)
調布というのは、手作りの布という意味で、
染色に関係があったといったことが
書いてあります。
右の説明書きがあった神社

(2)常久(現府中市若松1丁目)説明書きの画像は省略します。
更にとことこと旧道を進むと常久の説明書きが道の左側にありました。
説明書きには「常久は、もともと玉川のほとりにあったけれど、洪水でこの地に移動してきた。
地名の由来は人名から。」といったことが書いてありました。
ここは小さな公園になっていて、向かって左奥に神社がありました。

lここで、旧道を外れ並行して走っている京王線方向に道を曲がりました。
この道を進めば古街道にぶつかるはず。

という思いは正しくて、すぐに古街道と思える道にぶつかりました。
そこを右に曲がるとすぐに江戸から7番目の一里塚ー常久一里塚が見えました。
.
(7)常久一里塚(日本橋から7里/27.5km)
府中市清水が丘3-15

甲州街道古街道
慶長年中に設置された古道を進むと、京王線の東調布の駅が見えて来ました。
ここで古街道と旧道が合流します。国道20号線も接近していて、車の往来が激しくなりました。
更に進むと道の左手に八幡宿の説明書きが見えてきました。

(3)八幡宿(現府中市八幡町2丁目)説明書きの画像は省略します。
説明書きには、「地名の起こりは、
この地に国府八幡宮があったことによる。
国府八幡宮は聖武天皇の創立による。」
といったことが書いてありました。
由緒あるお宮のようなので、お参りに行きましょう。

国府八幡宮への参道は、かなり長くて
京王線の踏切が見えてもまだお宮が見えません。

踏切を渡って、進むと道は左に曲がり、
国府八幡宮が見えました。
このころから左足首が痛くなって、
ゆっくり歩くようにしました。
国府八幡宮で、旅の安全を祈りました。

犬をつれて散歩している人もいました。
国府八幡宮

そろそろ、調布市一番の見所大國魂神社です。
この周辺が調布の繁華街らしく車も人も多くなりました。
参道の天然記念物の大ケヤキ並木は、
葉が完全に落ちているので、寂しい風景でした。
でも、右の画像にある提灯の飾りは美しくて
なかなかのものです。
お正月明けというのもよいものだと思いました。

大國魂神社は、111年に第12代景行天皇のご託宣で
できたという古い古い神社だったのですね。

そろそろお腹が空いてきました。
参拝を終えて痛い足を引きずりながら、旧道に戻りました。
大國魂神社の参道

(4)神戸(現府中市宮西町2丁目)説明書きの画像は省略します。
旧道の向かって左側に、神戸(ごうど)の説明書き、右側に古い店構えの和菓子のお店。あゆ最中が名物とか。
神戸の説明書きをざっと読むと「神戸は番場宿の一部。神戸の名前の由来は、かつてこの地に郡家があったので、
郡家が訛って神戸になった。」とか書いてありました。
疲れたときは、甘い物が一番とあゆ最中のお店に入って、お茶とお菓子でほっと一息。
午後も頑張りましょう。

旧道を進むと、甲州街道と鎌倉街道の交差点に高札場跡がありました。
これもさりながら、道の向かい側に古い倉を利用して地酒を売っているお店があり、心惹かれました。
ここは喫茶店にもなっているのですが、さっきお菓子を食べたばかりなので、パスしました。
少し、残念!

高札場跡 古い倉がお店になって

さらに旧道を進むと、
右手に手作り箒を売っているお店がありました。
お店の古い建物で、
私はこういうお店が大好きです。
昔からの技術を持った方が
作っておられるのでしょうね、
後継者はおられるのかなぁ、
とか思い眺めていました。
でも徒歩旅行では、ちょっと買えません。
宮西町4−5付近でした。

9.府中[番場]宿(東京都) 行程
(4)番場宿(現府中市宮西町2・3・4丁目の一部)説明書きの画像は省略します。

番場宿は、もともと甲州古街道沿いにあったものが、1650年頃に新街道ができて、この地に移転してきたとのこと。
名前の由来は分からないそうです。
冬とはいえ、かなり暖かかったのですが、
龍門山高安寺では、梅と蝋梅が美しく咲いていて
心もさらに暖かくなりました。
高安寺は、綺麗でよく手入れがしてあるお寺でした。
しばらく休んで、疲れがとれました。

ここは、昔は見性寺と呼ばれていました。
義経が兄頼朝の怒りにふれて、鎌倉に入れず
京都に戻るとき、この見性寺に弁慶とともに
滞在したのだそうです。


高安寺は、府中市片町2丁目付近にあります。
とても美しいので、お勧めのお寺です。
山門から見る高安寺

(4)本宿(現府中市西府町2丁目・本宿町2丁目・美好町3丁目のそれぞれ一部)説明書きの画像は省略します。
JR南部線の分倍河原の駅を左に見て南部線の踏切を渡りました。
新宿から京王八王子線と平行して歩いてきたのが、しばし南部線を右側にして歩くことになります。
お腹が空いてきたのですが、食事できそうなところもなく、モスバーガーで大好きなライスバーガーで遅い昼食としました。

振り返って(左国道20号線/右旧甲州街道)

本宿の説明書は、国道20号線と
旧甲州街道が合流する丁度左の画像の真ん中
白い車の右手にあります。

この付近と国立市内では、多摩川沿いの
ハケと呼ばれる崖の下に古道がありました。

崖の下の道が危険であったことは、
容易に察しがつきます。
多摩川から少し離れた新道(旧街道)が
作られたのも納得のいく話で、本宿も古街道から
移転してきたのだそうです。
国道20号線と旧甲州街道が合流すると国立市が近い!
本宿交番前の交差点を
八王子に向かって左にまがり
南部線をクロスして、更に右折したところに
NECの事業所があります。
江戸から8番目の一里塚は、
このNECの事業所の中にあります。

受付でお願いすると、案内の方がついて
見学させていただけます。


20号線からは、かなり離れてところにありますが、
旧道がここを通っていたという証になります。
(8)本宿一里塚(日本橋から8里/31.4km)
府中市日新町1−10(05/ 2/21 撮影)

本宿一里塚を見学したら、また20号線に戻ります。
この辺りからから矢川の駅付近までで、常夜燈(秋葉燈)を、3回見ることになります。


府中市本宿町2丁目付近

左は
1792年にできた常夜燈。

右は、
旧家とおぼしき家の塀を
えぐっておいてある常夜燈。

車の往来が激しくて、
また信号も遙か彼方なので
わざわざ道路を渡って、
説明書きを読みに行く
元気がありませんでした。

この付近で国道20号線は
日本橋から33kmです。
府中市西府町2丁目の1
国立市に入って、一番の見どころは、谷保天満宮です。
たいした距離を歩いているのでもないのに、疲れて、その上足が痛くて、もうへとへと。
谷保天満宮の看板が見えたときは、ほっとしました。
駐車場付近ではカラフルな鶏が餌を食べていました。

彫刻が美しい谷保天満宮

国立市谷保6208付近
谷保天満宮は、階段を下りなければなりません。
降りた階段は、また上るのかと、大した段数でもないのに
恨めしく思いながらおりました。
一般に、神社は高いところにあって、階段を登るものですが、
ここで階段を降りていることが、かつて甲州街道の旧道が
もっと南側・甲州街道を甲府に向かって左側にあったことの
証だそうです。つまり、谷保店天満宮は、旧甲州街道から
登る位置にあったというーーー。
谷保天満宮は、もちろんご祭神は菅公ですが、
大きな銅でできた牛がいました。
すっかり疲れて写真を撮る元気もなく、足を引きずって
南部線矢川の駅に向かいました。
国道20号線から矢川駅に入る近くにまた常夜燈が
ありました。
1794年に作られ、当時は別の場所にあったものを
道路改修にともない、この地に移転させたとのことです。
南部線矢川の駅から電車に乗って帰りました。



  

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