1日目
中央区日本橋ー新宿区新宿


日本橋(東京都)
行程
徳川慶喜筆 佐藤栄作筆

日本橋川
日本橋の真ん中に日本国元標がありますが、交通が激しい道の真ん中にあるので、
安全にみられるように、コピーが橋のたもとにおいてあります。
五街道(東海道、中仙道、甲州道、日光道、奥州街)は、全てこの日本橋から始まっています。

甲州街道は、現在は国道20号線です。かなりの部分国道の排ガスの中を歩かなければならないかも知れません。

日本橋に付近で20号線の道標は、全然見つかりません。
橋のたもとの交番で聞いてみることにしました。
「車ですか。」
「いえ、歩くんです。」
「どこまで?」
「下諏訪まで。」
という会話の後に、日本橋から銀座方向の道は、1号線、14号線、20号線が重なっていて、
番号が若い道が表示されると教えて頂きました。
1号線に沿って歩きましょう。


日本橋のたもとから、銀座方向に向かって二つ目の信号を右折して真っ直ぐ歩くと、皇居大手門にぶつかります。
雨に煙る皇居を右に見て歩くのですが、これが内堀通り。
大手門、皇居前広場、二重橋、桜田門と進みます。
桜田門を過ぎると、警視庁の前にでます。
ここで、1号線とお別れ、初めて20号線の道標が出て嬉しいものです。

二重橋の奥にこんな橋が

警視庁
左に、国会議事堂を見て三宅坂を上がると、半蔵門です。半蔵門は皇族が出入りするところらしく、警備が厳重でした。

お馴染み国会議事堂 (1)隼町一里塚付近(日本橋から1里/3.9km)
千代田区隼町1番地 (05/ 2/19 撮影)

内堀通りを半蔵門に向かって歩くと、半蔵門の少し手前が隼町1番地で、
かつて半蔵門会館が現在ではグランドアーク半蔵門というホテルになっていました。

明治初年日本橋から一里の標柱が立てられたそうですが、見つかりませんでした。
上の右の写真ですが、突き当たりが内堀通り、右側の建物がグランドアーク半蔵門です。

半蔵門で皇居を
ほぼ半周したことになるでしょうか。
ここで、内堀通りとはお別れです。

半蔵門の前で左折すると、
そこは新宿通りとなり、
新宿まで4km、甲府まで131kmと、
嬉しい道標が出ます。
雨の中の半蔵門

大幹線通りである新宿通りを
20号線の標識を見ながら真っ直ぐ歩くと、
四谷の駅にぶつかるので、
それを新宿御苑まで歩きます。

新宿御苑は新宿通りの左側にあるのですが、
その前に四谷大木戸跡がありました。

その近くに日本橋から7kmの標識。
あと少しで新宿駅です。
四谷大木戸跡

1.内藤新宿(東京都)
行程 .
新宿3丁目交差点南東角に、
寛永年間まで一里塚があり、
宝永七年、塚跡に
子育稲荷が造営されたそうですが、
見逃しました。

左の写真は、新宿3丁目交差点南東角です。
交差点の斜め向かいが伊勢丹デパート。
この写真は、伊勢丹の角で撮りました。


この交差点の一角に『追分交番』があります。
(2)追分一里塚(日本橋から2里/7.9km
新宿3丁目交差点南東角 (05/ 2/19 撮影)
.
青梅街道と甲州街道の分岐点『追分』の名が
ここに残っています。
追分交番

和菓子店『追分だんご』
50年の歴史を持つお店だとか。
歩道に埋められた新宿元標ここが追分

甲州街道ができたころ、最初の宿場は下高井戸、日本橋から16km。
ちょっと遠くて大変なので、できた宿場が新宿。
ここは高遠藩の下屋敷があった以外、何もない荒涼としたところだったそうです。
高遠藩屋敷跡が今の新宿御苑。内藤氏の名前をとって内藤町と呼ばれています。
ここに新しい宿ができて、ここ新宿は、大変な色街として発展したそうです。
新宿が荒涼たる原野だったなんて、信じられませんね。

新宿御苑無料の歩道 桜の季節の新宿御苑(05/ 4/ 7撮影)

新宿御苑は入場料が必要なので、雨の中無料で歩ける御苑内の道を通り抜けました。

通り抜けると、すぐに新宿駅。
台風の雨が激しくなってきたので、この日はここで終わることにしました。



   

[歴史の道を歩こうTOP] [甲州街道TOP][歴史][甲斐武田氏の史跡][甲州街道Q&A