甲州街道は、江戸日本橋から信州下諏訪までの53里24町(211km)です。
途中甲府を抜けるので、甲州街道と呼ばれているようです。
完成したのは、慶長八年とも慶長九年とも言われています。 慶長八年というのは、徳川家康が江戸幕府を開いた年(1603年)です。
この当時にできた甲州街道は、後になって作り直された部分もあって、
現在旧道と呼ばれているのは1650年頃開かれた新道で、古街道はなくなってしまっているところが多いようです。
国道20号線と旧街道と古街道が重なったり離れたりしながら続いているのが、甲州街道なのです。
しかし、実際には古街道より更に古い街道も不明ながらあるそうです。
53里24町(211km)という数字も正確なものではありません。
どのように変更されたか分からなくなっているところもあるようですし、
一里塚の場所なども不明ですが、各市区町村の教育委員会等が調査されたものを
便りに歩いて見ようと思います。
現在は国道20号線が多くの部分重なっているのですが、旧道が今も残っているので、
その部分を訪ねるのは、とても楽しみです。
因みに甲州街道を使って参勤交代をしていたのは、信州高嶋藩、信州高遠藩、信州飯田藩の3藩で
その他、甲府の江戸勤番のために諸役人が往復しました。
下諏訪は、京都を目指す中山道の宿場です。
同じ日本橋から始まる中山道とは、違うルートで下諏訪に行くのです。
休みの日を切れ切れに使いながら下諏訪を目指すのですが、どれくらいかかるか分かりません。
もし、下諏訪について余力があれば、下諏訪から中山道で日本橋に戻りたいと思っています。
中山道下諏訪宿問屋場跡つまり甲州街道終点に着くのはいつのことでしょうか。 |
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