16日目
大和橋西詰交差点ー鶴瀬宿ー勝沼宿手前


5月中旬だというのに、なんという寒さ!
アスファルトの道を歩くのには、暑いよりは寒い方が良いけれど、それにしても寒い!
GWの初日に大和橋西詰まで歩いたので、今日は同じ地点からスタートです。

大和村には、二つ宿場があって、江戸から遠い方の鶴瀬宿を目指しました。
目指すと言っても、20号線はすぐにガードレールの脇に道が分かれる地点まできました。
このガードレール脇の道が旧甲州街道です。

ガードレールの脇の道が旧甲州街道 旧道は、20号線の下を走ります。

35.鶴瀬宿(山梨県) 行程
本陣、脇本陣などがどこにあったのかわからないのですが、
この付近は、宿場の賑わいを見せていたように思います。

こういう石碑は、旧道の証です。

鶴瀬関所跡の標識
旧甲州街道はすぐに20号線にぶつかります。
20号線の向こうに旧道が見えますが、
すぐにこの道も20号線に戻ります。

大和村特産の鞍馬石でできた石碑。
この石碑は20号線に面したところにありますが、
旧道は石碑の後ろを走っています。
国立でよく見た常夜灯ー 久しぶりです。

この後、旧甲州街道は、20号線を歩きます。

20号線を歩いていると、右側に武田菱のある『血洗沢』の標識、更に進むと同じく武田菱のある『鞍駆』の標識。
残念なことに標識だけで、どういうことが起こった場所なのかの説明がありません。
大和村の教育委員会にお電話して、教えていただきました。

この先の洞門付近で、洞門上を越えるのが、旧甲州街道らしいのですが、
道が見つからず、結局洞門を歩くことになりました。

江戸時代に洞門があったはずもなく!

洞門の上に上がると芭蕉の句碑がーー。
洞門を過ぎた辺りで、旧道は甲府に向かって左側に降りるとのことですが、
降りる道がありません。
信号のある交差点から回り込んで20号線の下に降りたのですが、
しばらく歩くと、崖の上から徒歩で降りる道がありました。
旧道を歩いてきた者の直感で、この歩道が、旧甲州街道だろうと思いました。

振り返ってーこの歩道が旧道だと勝手に確信!

旧甲州街道の標識にホッとしました。
旧道の面影を残す雰囲気ある道 少し進むと20号線に合流

20号線に合流してからは、横吹き一里塚を見つけようと目を皿にしました。
ふと見ると、20号線から分かれて、下る道があります。
ひょっとしてここが旧道かと思い、こちらに行ってみることにしました。
すると道の右上に一里塚の標識があるではありませんか!
それで、これが旧道だと確信したのですが、ブドウ畑の中を通るこの道は行き止まりになりました。
行き止まりになったからと言って、これが旧道ではないうことにはなりません。
ブドウ畑を横切らせていただいて、同じ道を戻ることはしませんでした。
.

これが旧道ではないかとーーー。

(29) 横吹一里塚跡(日本橋から29里/113.9km)
20号線は、新撰組改め甲陽鎮撫隊を組織して
甲州街道を北上した近藤勇が
板垣退助と決戦した勝沼町柏尾を通ります。
古戦場の地に近藤勇の銅像があります。

かつてはこの付近に大善寺の鳥居があって、
その鳥居には銃痕があったそうですが、
今はその鳥居はありません。
とても残念に思います。
近藤勇も訪れたであろう大善寺

ここで、20号線とお別れです。
左ー20号線、右ー旧甲州街道


勝沼町に入った旧甲州街道
ブドウ畑が両脇にたくさんある緩やかな坂を下っていくと甲府に向かって右側に『国見坂』の標識。
「元和7年(1611)に甲州街道の往還筋地名として定められた。」とありました。

緩やかな下り坂は『国見坂』

国見坂の傍に小さな石碑がーーー。
今日の最終地点『勝沼氏館跡』までもう少し。寒さが身に沁みてきました。
『勝沼氏館跡』は甲府に向かって左側、ちょっと入ったところにあります。

風が強く、寒い日でしたが、やっと勝沼まで辿りつきました。



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