|
|
|
笹子峠からの下り道 |
|
笹子トンネルの甲斐大和側
|
笹子トンネルの上を通り、甲斐大和村に着きました。
これで長かった大月市とはお別れです。
トンネルを出たところで、甲州街道峠道の道標がでました。
車道は、車が少なく快適ではありますが、でもやはり旧甲州街道を歩きたいと思うものです。
張り切って、峠道を下りました。
|
|
|
|
|
ここから始まる峠道
|
|
振り返って車道を見る。 |
|
|
|
さっき分かれた車道の脇が峠道
|
|
峠道パート1が終わりました。 |
|
|
|
簡易舗装の車道を進むとーーー、 |
|
峠道パート2の入り口です。 |
楽に歩ける気持ちの良い整備され道を下りました。
途中、立派な石垣に橋が架かっていました。
橋は最近のものでしょうが、この石垣は旧甲州街道として、賑わったころのものだと思います。 |
|
|
|
|
緩やかな下りの気持ち良い道です。
|
|
石垣に橋(振り返って) |
右手に沢を見ながら進むと、左手に住居跡らしき石垣があったりして
旧甲州街道の時代には、さぞかし賑わった地域なのだろうと思います。 |
|
|
|
|
住居跡らしき石垣
|
|
沢を渡る橋の手前にも立派な石垣がーー。 |
|
|
|
よく整備された道にびっくり(振り返って) |
|
峠道パート2の終点で車道と合流(振り返って) |
右上の写真は、手前が車道、向こうが峠道です。
峠道パート1、パート2とは、私が勝手に名づけたもの。気持ちよく歩けました。 ここから駒飼宿までは、アスファルトの車道しか歩けません。
旧甲州街道は、分からなくなっているのでしょう。 |
|
|
|
|
アスファルト道の脇にありました。
|
|
車がほとんど通らず、快適な道です。 |
|
 |
34.駒飼宿(山梨県) |
[行程] |
|
ここは、かつて信長と家康の連合軍に攻められた武田勝頼が、韮崎の新府城に火をかけ脱出、
岩殿山の小山田信茂を待ったところです。
結局は信茂の裏切りとなり、笹子峠は越えないで天目山に落ち延びることになりました。 |
|
|
|
|
大回りしている道の下に駒飼宿が見えます。
|
|
脇本陣跡の標識 |
|
|
|
明治天皇小休所(本陣跡の敷地内に)
|
|
本陣跡 |
|
|
|
駒飼宿の風景
|
|
街道沿いの立派なお宅(1)
|
|
|
|
旧甲州街道は左折します。
|
|
街道沿いの立派なお宅(2) |
|
|
|
画面左下に『甲州道中駒飼宿』の標識がーー。
(振り返って)
.
|
|
旧道は、この標識に向かった背中方向です。 |
|
|
|
(28) |
日陰一里塚推定地(日本橋から28里/110.0km)
実は見つけられませんでした。 この辺りかと勝手に推定しています。 |
|
|
ここにも立派な石垣がありました。 |
|
|
|
大通りと合流(振り返って) |
|
大和橋西詰交差点 |
大和橋西詰交差点手前で、駒飼宿で分かれた大通りと合流しました。 交差点は目と鼻の先です。
実際は甲斐大和駅まで、戻る感じで歩いたのですが、
そこは甲州街道ではないので、歩いた時間に入れませんでした。
歩き終えて、時間はかかったけれど、笹子峠越え以外きつい登り下りもなくて
それほどの難所とも思えませんでした。
小仏峠の方が、ずっときつかったように思います。
いずれにしても下諏訪までの中間点は過ぎたことに嬉しさがこみあげてきました。 |
|