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雨がパラつく中、登り道の旧道を歩きます。
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歴史を感じさせる石碑
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ここに至るまで道は曲がりくねります。 |
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稲刈りが進んでいました。
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まだまだ登り坂です。 |
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塀が美しい民家 |
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瀬沢地区に入り左からの国道20号線と合流します。
右の崖の上に信玄が境界争いに裁定を下したという
直裁碑があります。 |
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旧道は、国道20号線の反対側に渡るのですが、かつては渡しがあったものと思われます。
現在は、少し迂回して瀬沢大橋を渡ることになります。 |
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電信柱の右側に道が見えます。
かつては、ここへ直通していた橋があったのか?
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またも登り道 |
瀬沢地区で、かつて武田信玄vs村上義清、諏訪頼重、小笠原長時、木曽義昌の合戦がありました。
古戦場の碑は、20号線沿いにあります。
旧道沿いには、瀬沢合戦戦死者の供養塔があったという西照寺があります。 |
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階段の上に西照寺があります。 |
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今日の行程で唯一買い物ができた吉見屋
ここでパンと飲み物を買いました。
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急な登り坂
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左手にある石碑 |
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左手にある石仏
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左手にある石仏
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富士見町とち之木地区
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かつてはお社があったと思われます。 |
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富士見町には、
30を超える風除林があったのですが、 こことち之木にある風除林は、
よく保存されています。
ここにある赤松は樹齢200年を過ぎており、
稲をも可能にしたと言われています。 |
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標高950mにある公民館の庭に
重修一里塚があります。
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(47)重修一里塚(日本橋から47里/184.6km) 重修の由来は分かりません。 |
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甲州街道は、三菱マテリアル建材の所有地に
ぶつかって、迂回しなければなりません。
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左折して右折して、また旧道に入ります。
この辺り甲州街道最高地点(965m) |
この近くに和食レストランがあるので、そこで昼食をと考えていたのですが、
旗日だったためか、お休みでした。
結局、青柳駅までレストランはおろか自動販売機もなく、
吉見屋さんで買ったパンを齧りながら歩くことになりました。
雨が降っているので、座ることもできません。 |
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