22日目の(1)
蔦木宿ー平岡1里塚


前回、蔦木宿の途中でJR信濃境駅に歩いて向かいました。
今回は、贅沢してタクシーで蔦木宿まで来て、JR青柳駅まで歩きました。
雨がポツポツ降ってきました。

本陣の門が今も残っています。

本陣にも屋号があるのですね。
明治大帝御駐輦跡

本陣の碑
本陣の子のわが友といにしへの
蔦木の宿を 歩む夕ぐれ 与謝野晶子
(門の中にあります。)

国道20号線でもある旧甲州街道
諏訪方向に向いての家並みです。
空き地にも屋号の看板がありました。
ここには、風呂桶となぜかボロ傘があります。

案内板によると、このような風呂桶は
『すいほろこが』、『すいほろ』は『据え風呂』、
『こが』は『桶』という意味だそうです。

もう、今では滅多と見ることがありません。

七里ヶ岩からの湧水で
明治天皇巡航の際に使われたものを復元


白じらと並木のもとの石の樋が
秋の水吐く蔦木宿かな  与謝野晶子
民家(諏訪に向かって右側)

民家(諏訪に向かって左側)
左折すると西の枡形

枡形道路の碑
コの字の形で20号線に戻る枡形(最初の角)

次の角のところにある灯篭と石仏
この近くに釜無川の氾濫を防ぐために作った『信玄堤』と、昔植えた『川除古木』があります。

左手に曲がったところにあるお寺

20号線より高い地を行く旧道
20号線沿いの古い石碑 20号線沿いに細い道があって、
こちらが旧甲州街道かもしれません。


旧甲州街道は、岩田屋建材を過ぎたところで
20号線と分かれて、左に入ります。


釜無川沿いに旧道は進みます。
小雨の中を釜無川沿いに歩きました。 20号線と合流します。

あちこちで秋明菊が咲いていました。他に八重咲きのものもありました。

一里塚は普通道の両側にあるのですが、平岡の一里塚は片側だけ。
国道20号線の下に残っています。
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(46)平岡一里塚(日本橋から46里/180.6km)
20号線と分かれて、机に上がって行きます。



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