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22.下鳥澤宿(山梨県) |
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JR鳥澤駅を降りて歩き始めたのが、午後2時40分。
犬目宿と20号線の合流点まで戻って、合流点の撮影をして、
それから下諏訪方向に歩いて鳥澤一里塚推定地を探しました。 |
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振り返って、左犬目宿方面 右国道20号線
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下鳥澤宿の家並み |
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(22)鳥沢一里塚推定地?(日本橋から22里/86.4km)
富浜町鳥沢1979(鳥澤小学校脇) |
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鳥澤一里塚推定値は、20号線沿いの鳥沢小学校付近らしいのですが、はっきりとは分かりません。
しかし、鳥沢小学校のフェンス際に大きな木があったので、きっとこれだろうと、写真に撮ってきました。
鳥沢小学校のもう一方の角にコノテガシワの大木があります。
下鳥澤宿も上鳥澤宿も、本陣などは残っていないようですが、 それでもかつて宿場だった雰囲気を残しています。 |
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23.上鳥澤宿(山梨県) |
[行程] |
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上鳥澤宿の町並み
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上鳥澤宿の歩道には、下にあるきれいなタイルがはめ込まれていました。
割れているものもあったのですが、楽しめました。 |
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明治天皇駐×地碑がありました。 ×のところは字が読めません。
明治天皇が休憩したか、
宿泊した場所なんでしょう。
ここに本陣があったのだと推測しています。 |
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赤い小さなお社がーー。 |
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左20号線 右旧甲州街道 |
進行方向右側に赤い小さなお社が見えました。
この前を通って、左に曲がるのが旧甲州街道らしいのですが、道は行き止まりになっていました。
戻って少し20号線を進んだところで旧道と20号線は分かれて、少し進むと再度20号線に合流します。
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道すがら楽しめたどっしりとした風情のある古い家 |
20号線を歩かなければならないところは、かなり危険です。 車の往来は激しいし、猛スピードだしーーー。 |
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宮谷橋付近では、旧甲州街道は
桂川の岸辺になります。
今も歩けるところはホンの僅かですが、
道を探して
桂川のほとりに降りていきました。
旧道の面影を覗かせる石碑などもあって、
ここが旧甲州街道だと確信しました。
頭上を高架になった20号線が唸りをあげています。
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桂川の岸辺を歩く。
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左20号線 右猿橋へ
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車の止ってる場所の左を下ると猿橋 |
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日本3大奇矯とは、岩国の錦帯橋、四国のかずら橋、そしてここ猿橋です。
下の写真を見ると分かるように、桂川は深い渓谷をなし、平安朝の昔には、たいへんな難所だったそうです。
百済の造園博士芝耆麻呂という人が、猿が手足をつないで橋の形となり、川の対岸を往復しているのを
ヒントに作った橋がこの猿橋だという説が残っているそうです。 |
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振り返って
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24.猿橋宿(山梨県) |
[行程] |
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左は、猿橋名物・厚焼せんべい。
直径8cm、厚さ8mm、1枚80円(税込み)。
山椒が入っていて、なかなかの風味。
かなり堅いので、歯の弱い人は
注意が必要です。
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猿橋を渡って20号線と合流する地点
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特に何も残っていない猿橋宿 |
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右手を見ると中央道が |
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JR猿橋駅近くの三嶋大明神
ここには大月市の文化財『薬師如来鏡像』があります。
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左折するとJR猿橋駅という標識を過ぎて少し進むと、20号線は左にカーブしています。
このカーブ付近に殿上村一里塚が道の両脇にあると聞いていたので、
一生懸命探したのですが、見つかりません。
道行く地元の人にも二人聞いたのですが、ここには一里塚はないというーーーー。
それでも、距離から言ってもこの辺りだろうと、それらしきものを記念に撮影しました。
下の左は、道の左側にあった古い碑、右は大きな木。
これが一里塚の名残だということにしました。
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(23)殿上村一里塚勝手に推測地?(日本橋から23里/90.3km)
阿弥陀寺前カーブ |