9日目
上野原宿ー鶴川宿ー野田尻宿


18.上野原宿(山梨県) 行程
しばらくご無沙汰していた甲州街道に戻ってきました。
上野原駅についたのは午後2時を過ぎていましたが、駅前に国道20号線を通るバスが待っていたので
それに乗って20号線、つまり前回歩き終えたところまで戻りました。
旧甲州街道を歩いて、JR四方津駅まで行きたいのですが、
電車で4分のところ、 回り道して歩くと3時間はかかりそうです。 日が暮れるまでに四方津に着きたいものです。

江戸からから数えて18番目の宿場の上野原は、
町の真ん中を真っ直ぐの道が通っています。
かつては、絹の市で賑わったとのことですが、
絹製品の衰退で、今はその面影はありません。
車で何度も通ったことがある道ですが、
昔の宿場かと思うと、感慨があります。
上野原のメイン・ストリート

酒饅頭のお店が何軒かあり、名物だと聞きました。上野原町ユズリ(木岡)原は、長寿食で有名です。
いつか行こう行こうと思いながらまだ行かずにいます。

古い佇まいのお店もあります。いつか2軒をご紹介したいと思いますが、下の写真でご覧下さい。

甲州街道沿いにある古い佇まいのお店

 直線が切れると、道は三股になります。
真ん中が国道20号線、右があきる野、左が旧甲州街道になります。
左の道はカーブしていて、少し進むと国道20号線に戻るというか、横切ることいなります。
国道20号線の鶴川入口と書いた歩道橋のところです。
ここで旧甲州街道は、下諏訪に向かって、20号線の右側に移ります。

19.鶴川宿(山梨県) 行程
右折して坂を下っていったところが鶴川です。宿場の名前も川の名前も鶴川です
橋を渡ったところに宿の案内板があって、鶴川は甲州街道唯一の徒歩渡しだとありました。
甲州街道には橋のない川が三つあったけれど多摩川、笛吹川は、船があったそうです。

鶴川宿は上野原から近いので、ここに宿場がある必要はないように思えますが、
川渡しのために必要だったという説があります。

水の美しい鶴川 橋を渡ったところにある標識

緩やかな坂を登る感じで宿場内に入って行くと、
火事で焼けてしまって昔の面影はないと聞いていたものの、 どこか懐かしい雰囲気がありました。
下の左は、鶴川神社。かつて宿場の入口にあった『駒つなぎ石』があります。
右は、立派な住宅。築何年ぐらいのお宅なんだろう?とか思いました。

鶴川神社 雰囲気のある住宅

道は左に回り、上りが険しくなりました。
ここで、旧道と自動車道がほんの少し分かれています。
坂を上って行く道は、宿場と平行になる感じで、木々の間から鶴川宿が見えます。
坂を登りきったところに『鶴川宿』の標識があって、これで鶴川宿は通り抜けました。

木々の間に鶴川宿がーーー。 振り返って

その後、いくつかの分岐があって、果たして上手く旧道を歩いているかどうか心配になり、
停まっていた郵便配達の車に聞いてみました。
問題なくOKでしたが、歩いて四方津まで行くというとびっくりされました。

道を教えていただいて、更に坂道を登ります。疲れが出て、心細くなりました。
旧甲州街道は、中央道を渡ります。

郵便配達車が見えます。 向こうの橋で中央道を渡ります。

中央道を渡って、旧道は長野に向かって中央道の左側に移ります。
この辺りでぼーっとして一里塚を見逃して、吾妻神社に来てしまいました。。
道標を見ると、左『鶴川宿・上野原宿』、右『野田尻宿・犬目宿』とあり、直角方向にも何か書いてあります。
興味深々で覗いて見ると、『公衆トイレ』。思わず吹き出してしまいました。

大椚一里塚
(19)大椚一里塚(日本橋から19里/74.6km)

吾妻神社の標識 ちょっと笑えました。

ここを過ぎると、旧道は中央道沿いになります。
というか中央道が旧道を呑み込んでしまったようです。

この辺りに、長峰の砦があったそうで、発掘作業が進んでいます。
長峰砦は、武田信玄の部下の加藤丹後守が信玄の命を受けて、
北条氏から甲斐の国を守るために作ったのだそうです。
中央道の道の脇に小さな石碑があるのですが、芭蕉の句碑だと思われます。
この辺り、雪が深く、寒くて、ゆっくり考えている余裕がありませんでした。
いずれにしても、歴史の道も史跡である長峰砦も、中央道でかなり破壊されたようで残念に思いました。

中央道沿いの道を進み、野田尻宿の標識で中央道を渡ると野田尻宿はすぐです。
 

長峰の砦跡にある芭蕉の句碑

右側は中央道です。
20.野田尻宿(山梨県) 行程
坂を降りていくと野田尻宿で、江戸から数えて20番目の宿場です。
向かって左側は、中央道で、高い壁になっています。
野田尻宿は、今まで見てきた宿場より、道幅が広いように感じました。

野田尻宿の入口付近

宿場の中
由緒あるお宅なのでしょうか。 野田尻宿の碑

日が暮れかかり、薄暗くなってきました。旧甲州街道は、JR中央線からかなり離れています。
バスがなければ、四方津駅まで歩かなければなりません。少し心細くなりました。
出会った人に聞いてみると、宿場を出たところの中学校前から四方津に出るバスがあるとのこと。
少しホッとして、急ぎ足になり、 大嶋神社の前を通って西光寺に来ました。
旧道は西光寺の向かって右側にありますが、バス停は、左に進んだ平和中学校の角にあります。
今日はこれで甲州街道とお別れです。

大嶋神社 熊野山西光寺

あまり待たずにバスが来れば良いのにと祈りながら道を急ぎました。
停留所で時刻表を見ると、4時32分となっています。時計を見ると4時35分。
がっかりして、それでも2分ほど待って、諦めて歩き始めました。
四方津の駅まで4kmとあり、寒くて疲れた身には、辛い距離です。
と思って振り返ると、なんとバスが来るではありませんか!
轢かれても良いぐらいの心構えで、道の真ん中に立ち、両手を挙げるとバスは止まってくれました。
お客さんはありません。四方津駅まで貸切でした。
四方津駅に着くと、中央線とうまく連絡していていて、本当にラッキーでした。
因みに、次回はバスで平和中学まで行かなければなりません。
時刻表をメモっておきます。書き間違いがなければ良いのですがーー。
犬目行き 8:34、9:47(土、祝運休)、12:45(土、日、祝運休)、14:55、16:00

JR四方津駅には、駐車場が有料も無料もありません。



  

[歴史の道を歩こうTOP] [甲州街道TOP][歴史][甲斐武田氏の史跡][甲州街道Q&A