|
|
|
郵便配達車が見えます。 |
|
向こうの橋で中央道を渡ります。 |
中央道を渡って、旧道は長野に向かって中央道の左側に移ります。 この辺りでぼーっとして一里塚を見逃して、吾妻神社に来てしまいました。。 道標を見ると、左『鶴川宿・上野原宿』、右『野田尻宿・犬目宿』とあり、直角方向にも何か書いてあります。 興味深々で覗いて見ると、『公衆トイレ』。思わず吹き出してしまいました。 |
|
|
(19)大椚一里塚(日本橋から19里/74.6km)
|
|
|
|
吾妻神社の標識 |
|
ちょっと笑えました。
|
ここを過ぎると、旧道は中央道沿いになります。 というか中央道が旧道を呑み込んでしまったようです。
この辺りに、長峰の砦があったそうで、発掘作業が進んでいます。 長峰砦は、武田信玄の部下の加藤丹後守が信玄の命を受けて、
北条氏から甲斐の国を守るために作ったのだそうです。
中央道の道の脇に小さな石碑があるのですが、芭蕉の句碑だと思われます。
この辺り、雪が深く、寒くて、ゆっくり考えている余裕がありませんでした。
いずれにしても、歴史の道も史跡である長峰砦も、中央道でかなり破壊されたようで残念に思いました。
中央道沿いの道を進み、野田尻宿の標識で中央道を渡ると野田尻宿はすぐです。 |
|
|
|
|
長峰の砦跡にある芭蕉の句碑
|
|
右側は中央道です。 |
|
 |
20.野田尻宿(山梨県) |
[行程] |
|
坂を降りていくと野田尻宿で、江戸から数えて20番目の宿場です。
向かって左側は、中央道で、高い壁になっています。
野田尻宿は、今まで見てきた宿場より、道幅が広いように感じました。 |
|
|
|
|
野田尻宿の入口付近
|
|
宿場の中 |
|
|
|
由緒あるお宅なのでしょうか。 |
|
野田尻宿の碑 |
日が暮れかかり、薄暗くなってきました。旧甲州街道は、JR中央線からかなり離れています。
バスがなければ、四方津駅まで歩かなければなりません。少し心細くなりました。
出会った人に聞いてみると、宿場を出たところの中学校前から四方津に出るバスがあるとのこと。
少しホッとして、急ぎ足になり、 大嶋神社の前を通って西光寺に来ました。
旧道は西光寺の向かって右側にありますが、バス停は、左に進んだ平和中学校の角にあります。
今日はこれで甲州街道とお別れです。 |
|
|
|
|
大嶋神社 |
|
熊野山西光寺 |