23日目の(2)
宮川坂室の交差点ー神戸一里塚


甲州街道は、宮川坂室の交差点で20号線となります。
諏訪方向に進んですぐ右側に、JR中央線と国道との間に酒室神社があります。  
酒室神社のある場所は、御射山祭の際に濁酒を造って、山の神に捧げる前夜祭を行った地なんだそうです。

境内に、大きなケヤキの木があるそうですが、見逃しました。

JR中央線が近いので、けっこう煩い酒室神社


酒室神社で正午の時報を聞いたので、お腹が空いてきまたので、
20号線に戻ったところにある焼肉屋さんに入りました。
ここで、話には聞いたことがある『義経鍋』での焼肉を、初めて食べました。
昔は、この辺りは義経鍋を使っていたけれど、今は殆どないとか。
因みに上の写真の義経鍋は青森の南部地方で作られたもので、30年を経過しているんだそうです。


国道20号線を諏訪方面に向かって右側を歩いて行くと、『新田中』のバス停があります。

『新田中』のバス停を少し過ぎると、
右側に少し戻る感じで緩やかな坂道があります。
右に曲がってから、
左側の2軒目と3軒目の家の間にある、
細い階段になった道を登っていくと、
左手に50番目の茅野村新町一里塚があります。


この細い階段の道が公道か私道か
分からないのですが、
静かに一里塚を見せていただきました。
『新田中』のバス停で振り返って
.
一里塚が20号線から外れているのは、旧道の場所が20号線とか僅かにズレテいたのか、
一里塚付近が枡形になっていたかではなかと思われます。

(50) 茅野村新町一里塚  (日本橋から50里/196.4km)
『一里塚 江戸日本橋より五十里』と書いてあります。

一里塚を過ぎると宮川の交差点です。
左:国道20号線  右:旧甲州街道


20号線と分かれてすぐの左手に、『おか女神社』と『三輪神社』があり、
その広場の一角に『明治天皇御小休み所跡』の石碑があります。


左: 天照大神が天の岩戸に隠れたとき、岩戸の前で踊った『おか女』を祀った『おか女神社』
右: 本殿の彫刻が美しい『三輪神社』(写真は失敗!)

なぜか二つある『明治天皇御小休み所跡』の石碑

『明治天皇御小休み所跡』の石碑を見て、少し進んで右に曲がると、赤い屋根の宗湖寺があります。
宗湖寺は、諏訪藩主、諏訪頼忠(頼重の従弟)の菩提所です。
頼忠は織田信長滅亡の後、諏訪家を再興しています。。
明治天皇巡幸の折、旧諏訪藩家老、千野の門、通称三の丸の御門を移築して明治天皇を迎えました。

赤い屋根が美しい宗湖寺 山通園』の額がある本堂

明治天皇茅野御膳水

旧諏訪藩家老、千野の門を移築した山門
旧甲州街道に戻って進むと、JR茅野駅の脇を通ります。
そこに、『諏訪神社上社参拝道の大鳥居』がありますが、見上げただけで通過しました。

その先に、二股の分岐があるのですが、旧甲州街道は左側の道です。

諏訪神社上社参拝道の大鳥居

旧甲州街道は左側の道
左側の細い道を進むと
前方に20号線が見えてきました。

上原の交差点です。

このころ、どっと疲れが出て、
少し、足がふらつきましたが、
これを乗り越えると、
足は俄然軽くなることを知っているので、
頑張ることにしました。

上原八幡神社は、もうすぐです。
20号線の上原交差点

上原八幡神社

意外と簡素な本殿
上原八幡神社は、
諏訪に向かって20号線の左側にあります。


上原八幡神社諏訪一円から広く尊崇されていて、
織田信長滅亡後諏訪に復帰し高島藩となったのち、
江戸への参勤交代の折、
藩主は上原八幡神社で馬を降り、
道中の安全を祈願し、
その後は、身支度を整えて、
駕籠に乗ったと言われています。

今も社殿には、参道と
駕籠を置く枡形の駕籠置き石が 残っています。
参道と駕籠を置く枡形の駕籠置き石

この後、旧甲州街道は茅野上原郵便局の案内板のある角で右折します。
茅野上原郵便局は、20号線沿いにあるのではなく、少し入ったところにあります。

左: 郵便局の案内に従って20号線を右折
右: 右折した後、道なりにこの常夜灯のところまできて、振り返りました。
矢印は茅野上原郵便局を指しています。

ここは大門追分で、左側の道が大門街道、右(今来た道)が江戸道です。

旧道の香りがする道沿いにリンゴ畑が・・・・。

常夜灯は石碑の影に隠れて見えません。
武田信玄との争いに破れて、甲府で自害した諏訪頼重の菩提寺頼重院
.
(51) 神戸一里塚  (日本橋から51里/200.3km)



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