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JR中央線が近いので、けっこう煩い酒室神社
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酒室神社で正午の時報を聞いたので、お腹が空いてきまたので、 20号線に戻ったところにある焼肉屋さんに入りました。 ここで、話には聞いたことがある『義経鍋』での焼肉を、初めて食べました。
昔は、この辺りは義経鍋を使っていたけれど、今は殆どないとか。
因みに上の写真の義経鍋は青森の南部地方で作られたもので、30年を経過しているんだそうです。 |
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国道20号線を諏訪方面に向かって右側を歩いて行くと、『新田中』のバス停があります。
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『新田中』のバス停を少し過ぎると、
右側に少し戻る感じで緩やかな坂道があります。
右に曲がってから、
左側の2軒目と3軒目の家の間にある、
細い階段になった道を登っていくと、
左手に50番目の茅野村新町一里塚があります。
この細い階段の道が公道か私道か
分からないのですが、
静かに一里塚を見せていただきました。 |
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『新田中』のバス停で振り返って
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一里塚が20号線から外れているのは、旧道の場所が20号線とか僅かにズレテいたのか、
一里塚付近が枡形になっていたかではなかと思われます。 |
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(50) |
茅野村新町一里塚 (日本橋から50里/196.4km) |
『一里塚 江戸日本橋より五十里』と書いてあります。
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一里塚を過ぎると宮川の交差点です。
左:国道20号線 右:旧甲州街道
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20号線と分かれてすぐの左手に、『おか女神社』と『三輪神社』があり、
その広場の一角に『明治天皇御小休み所跡』の石碑があります。 |
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左: |
天照大神が天の岩戸に隠れたとき、岩戸の前で踊った『おか女』を祀った『おか女神社』 |
右: |
本殿の彫刻が美しい『三輪神社』(写真は失敗!) |
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なぜか二つある『明治天皇御小休み所跡』の石碑
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『明治天皇御小休み所跡』の石碑を見て、少し進んで右に曲がると、赤い屋根の宗湖寺があります。
宗湖寺は、諏訪藩主、諏訪頼忠(頼重の従弟)の菩提所です。
頼忠は織田信長滅亡の後、諏訪家を再興しています。。
明治天皇巡幸の折、旧諏訪藩家老、千野の門、通称三の丸の御門を移築して明治天皇を迎えました。 |
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赤い屋根が美しい宗湖寺 |
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『山通園』の額がある本堂
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明治天皇茅野御膳水
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旧諏訪藩家老、千野の門を移築した山門 |
旧甲州街道に戻って進むと、JR茅野駅の脇を通ります。 そこに、『諏訪神社上社参拝道の大鳥居』がありますが、見上げただけで通過しました。
その先に、二股の分岐があるのですが、旧甲州街道は左側の道です。 |
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諏訪神社上社参拝道の大鳥居
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旧甲州街道は左側の道 |
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左側の細い道を進むと
前方に20号線が見えてきました。
上原の交差点です。
このころ、どっと疲れが出て、
少し、足がふらつきましたが、 これを乗り越えると、
足は俄然軽くなることを知っているので、
頑張ることにしました。
上原八幡神社は、もうすぐです。 |
20号線の上原交差点
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上原八幡神社
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意外と簡素な本殿 |
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上原八幡神社は、
諏訪に向かって20号線の左側にあります。
上原八幡神社諏訪一円から広く尊崇されていて、
織田信長滅亡後諏訪に復帰し高島藩となったのち、
江戸への参勤交代の折、
藩主は上原八幡神社で馬を降り、
道中の安全を祈願し、
その後は、身支度を整えて、
駕籠に乗ったと言われています。
今も社殿には、参道と
駕籠を置く枡形の駕籠置き石が 残っています。 |
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参道と駕籠を置く枡形の駕籠置き石
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この後、旧甲州街道は茅野上原郵便局の案内板のある角で右折します。
茅野上原郵便局は、20号線沿いにあるのではなく、少し入ったところにあります。 |
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左: |
郵便局の案内に従って20号線を右折 |
右: |
右折した後、道なりにこの常夜灯のところまできて、振り返りました。
矢印は茅野上原郵便局を指しています。
ここは大門追分で、左側の道が大門街道、右(今来た道)が江戸道です。 |
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旧道の香りがする道沿いにリンゴ畑が・・・・。
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常夜灯は石碑の影に隠れて見えません。 |
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武田信玄との争いに破れて、甲府で自害した諏訪頼重の菩提寺頼重院
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(51) |
神戸一里塚 (日本橋から51里/200.3km) |
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