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ここが今日のスタート地点です。
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少し歩くと20号線と合流します。 |
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44.金沢宿(長野県) [行程] |
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20号線を歩いていると、左手に金鶏山泉長寺という諏訪家の家紋のあるお寺がありました。
諏訪家とどういう関連があるのかは、よく分かりません。
山門の手前に『金沢宿 お手つき石』がありました。
駒木野宿(東京都)にも、お手つき石が残っていましたが、これはこの付近に関所があったということなのでしょう。
もう一つ、興味深かったのは仏足跡で、インドでは、礼拝の対象とされているものだそうです。 |
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泉長寺の山門
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泉長寺の本堂 |
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お手つき石 |
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仏足跡
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金沢宿は、もともと権現原にあったものが、
相次ぐ宮川の氾濫と火事による消失で、
この地に移ってきました。
金沢の交差点にある本陣跡。
明治天皇が宿泊したか、休憩したか、
の碑があります。
金沢本陣は、小松家が勤めていましたが、
4代三郎左衛門は高島藩から伝馬を怠った咎で、
張付にされ、家は断絶しました。
それ以降は白川家が本陣を勤めました。
三郎左衛門は、村民のためによく尽していたので、
義民として、宿場内に手厚く葬られています。
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1軒先にある明治まで茶屋だった近江屋
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木彫りが美しい! |
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古い旅籠『松坂屋』
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『旅館 HOTEL 松阪屋』と書いてあります。 |
20号線右側に、昔馬方宿だったという小林家があります。
小林家は、実に堂々とした構えの家で、今も住居として使われているようです。
玄関左側の道沿いに、穴のあいた石が一つあります。
昔は、もっとたくさんあったのでしょう。客はここに馬を繋いで、宿泊しました。 |
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馬方宿だった小林家
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馬継ぎ石
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小林家から少し進むと、右側に入っていく道があります。
枡形っぽいし、お地蔵さんと馬頭観音があったりするので、これが旧道ではないか?と勝手に思いました。
この道は、川にブツかって左折し、20号線にぶつかります。 |
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枡形にも思えます。
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可愛いお地蔵さんと馬頭観音 |
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20号線を進むと、矢ノ口の交差点に
『権現の森』が見えてきます。
この辺りが、かつての『青柳宿』でした。
相次ぐ宮川の氾濫と火事による消失で、
『青柳宿』は、『金沢宿』に移転しました。
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右手に見える権現の森
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武田信玄が開発した金鶏金山との関連も考えられている祠
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(49) |
木船一里塚(日本橋から49里/192.4km) |
木船一里塚は、清水橋バス停の左側にある高い木の下にあります。
通り過ぎて振り向くと、小さな案内板と石碑が見えます。
木船一里塚は、道路改修や中央線の線路敷設工事のために移動したので、
もともとここにあったというわけではないようです。 |
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振り返って右手の森に木船一里塚を見ます。
左手には、中央線、20号線、宮川があります。
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旧道は、戻る感じで20号線を離れます。
この分岐を見逃して、苦労しました。 |
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木船神社 (御柱で囲ってあります。)を
右に見て、中央線を高架で渡ります。 |
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画面左手を20号線(見えませんが)、中央線、宮川が通っています。
橋の左側にある円形のものは何だろう?と思いながら通過しました。
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左は、人家が少ないところなので
下水の蓋ではないと思うのですが、
御柱祭の絵になっています。
地方により下水の蓋などに地方色豊かな
絵があるのを見るのは楽しいものです。
20号線は、かなり高いところを走っていますが、
旧甲州街道は、のんびりした田園風景
といったところです。 |
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旧甲州街道は、原村からの道と合流し、中央線の下をくぐって、宮川沿いに進み、
宮川坂室の交差点で、20号線と合流します。 |
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左側の宮川に架かる橋は20号線 |
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交差点の手前右側にある常夜灯と石碑 |